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  • 執筆者の写真タガニアル

3代続く老舗食堂 -ひかり食堂-

更新日:2022年3月2日


 初回となる今回のインタビューのお相手は、常陸多賀駅前にお店を構える「ひかり食堂」のオーナーである細貝直樹さん。


 創業約80年のひかり食堂は直樹さんで3代目。東京の専門学校、日本料理店で修行して、一時家業を継いだのち、もう一度中華店へ勉強に行ったそう。店主の歴史、引き継がれてきた文化、新しいアイデアを掛け合わせたところに、ひかり食堂の味があります。


 

ひかり食堂の成り立ち


- 三代続いているひかり食堂ですが,お店が始まったきっかけはなんだったんですか?



 戦争中にうちのおじいちゃんが配給でうどんを始めたのが走り。

 

 うちの親父が子供の頃、日立の方の製麺所に自転車で麺を取りに行ったっていう話はよく聞いていた。当時はラーメンとかなかったから、うどんかなんかを配給していたんじゃないのかな。



- 戦時中のお店も現在の場所にあったんですか?



 ここだよ。もともとは古物屋さんみたいなことをやってたっていう話も聞いたけど、親父の小さい時の話だからよく覚えてないんじゃないのかな。当時は小さいお店でやったみたいで。この建物は、四十七年前に建てられたもの。



-内装にあるレトロな看板なんかも当時から先代が集められていたものなんですか?



看板とかは俺の趣味(笑)



 当時の内装はレジ横に立札があったんだけど、今はポップを貼りやすくするためにコルクボードにしたり、時代の流れに合わせて更新している感じ。


 建物が古くなってきて、電気を変えたり、立札があったカウンター上を黒板に変えたり、震災でガラスについていた木枠がほとんど落ちちゃったりしたけど、二代目の時から店内の雰囲気はこのまま。




 飾っている看板も、建屋の雰囲気に合わせて古い趣が出るようなものを選んで置いているね。


- レトロな雰囲気ですごく落ち着く空間ですね。


 

料理と細貝さん


- 料理は二代目から三代目になって結構変わったんですか?



 もともとあったメニューは味をそのままに残してる。生姜焼きもカツ丼も全部そのまま。

 新しく作ったメニューは多々あるけどね。



- 細貝さんは、一回東京で修行されてからひかり食堂に戻ってきて、でも納得いかなくて中華屋さんにもう一度修行に行っていたということなんですが、納得が行かなかった部分ってどんなところだったんですか?



 うーん、親父のラーメンのスープとかが自分で気に入らなかったんじゃないのかな.


 だからこの今のラーメンのスープは,俺の代で味を代えた.それに対して親父は何も言わなかった、普通だったら『いや守ってきたものだからダメだ』っていうのが大半だろうけど、あんまりそういうのでダメだという人ではなかったので。



 向上心とも言えるけど、もちろんそれで失敗する例もあるよね。


 今まで美味しかったのをより一層美味しくしようと思って変えようとしたんだけど、ダメで。今度戻そうと思っても戻らない。


 それを踏まえて、今あるものを単に変えるんじゃなくて、新しいものを作ることにした。

 それが煮干しラーメン。

↑ 煮干しラーメン


 うちの親父が煮干しを使ったラーメンを出してたんだけど、当時は生臭いってことで売れなかった。でも今は時代が変わって、煮干しラーメンが美味しいと感じられるようになった。そこで東京の料亭で学んだ技術を応用して、新しい煮干しラーメンを作った。

 

 今の時代は,変える部分と変えない部分を両立させていかないと生き残れない。


 中華で学んだことが生きた部分は味噌炒めとか餃子だよね。ほかの新しいメニューはほぼ食べ歩きから生まれたメニュー。「まぜそば」でもそうだし「背脂煮干し」もそうだし,常にアンテナを立てて新しいものを取り入れてる。


 その中で、“運よく”「まぜそば」は当たった、「背脂煮干し」は当たった、っていう話で、取り入れて試行錯誤しながら、当たるものも当たらないものもありながら何度も繰り返している感じ。

↑ まぜそば(追い飯付き)


- 勉強しに行くっていうマインドが元々あったんですか?



 それは,うちの親父とか勉強家な友達とかの影響を受けてかな。


 親父の頃から出してる「生姜焼き定食」だの「カツ丼」だの、やっぱりどこか気に入った店があったんじゃないかな。何回も通って、リスペクトしてって話は聞いたことがある。



 それが俺に引き継がれたってわけじゃないけど、やっぱり自分も料理が好きだから、常にアンテナを張っている。


 そういう意味で今は、個性とか面白さとか、遊び心を持って商売に望んでいる店が多い東京に、実際に行ったりしながら情報を集めている。


 それで得られたアイデアを、ひかり食堂らしくアレンジしてメニューにしたりすることが多いね。最近は居酒屋に注目してて,駄菓子サワーなんかを出してる.



 面白いことをやっているお店とかを見ていると、もっともっと自分も伸びなきゃなんねぇなと思うし、言い訳をしてちゃダメだと思わされる。


 状況を悲観しないで,うまく発想を転換しながら、行動する。そういうことに俺はすごくワクワクするんだよね。




 

新型コロナウイルスの影響


- 新型コロナの影響で外食産業は大きな打撃を受けています。



 難しいよね。テイクアウトとかデリバリーについて、日立で「ひたちごはん」をやってるけど、企画が面白い一方でワンテンポ遅かった感じもするよね。企画が始まった時にはもう学校始まっちゃってて、子供たちは食べられないんだから。



- 常に時代と共に変化しようとしてきたひかり食堂さんは、コロナに対しても適応していけるんじゃないか、という可能性を感じました。



 可能性を感じるっていうよりも、やるしかない。



 後ろを振り返っちゃダメなんだよね。経営者は常に心配でしょうがない。そこで後ろを振り返ったり、過去振り返ったり、後悔してたら、もう潰されちゃうんだ。


 常に明日を見て行動しないと、不安に押しつぶされちゃう。あくまで俺はそう思う。


 だから料理だけじゃなく、例えば浅草に行って新しい文化、ファッションを勉強したり、まち全体で今の面白さとか流行りとかを把握するように行動することで、未来を見ながら生きている。


 

ひかり食堂と常陸多賀


- 常陸多賀の可能性について教えてください。



 一つ一つのお店が頑張んないとしょうがないよね。


「市がなんかやってくれなきゃダメだ」「行政が何かやってくれないとこの街は生きてけない」そうじゃないんだ。各個人が頑張れば街に賑わいは戻ってくる。



 だからこそ、まちどうこうの以前に、俺はこの店を頑張るっていう気持ちかな。




 

 インタビューを通して、常に店主の料理や経営に対する熱意が感じられました。

 

 本当に料理が好きで、真摯に向き合っているからこそ、現状に満足せず常に勉強し成長しようとする姿勢は、料理人としてだけでなく、人間としての厚みを感じさせます。


 「過去は振り返るよりも,次にできる未来のことだけを考える」という持論はとても逞ましく、この意識こそがひかり食堂の味の源なのではないでしょうか。



 また細貝さんはこの企画に対して、


 「普段聞けない貴重なお店の話も、こういう活動を通して聞くことで勉強なるだろう」


 と言っていただき、自らこの活動を通して多賀を学ぶとともに、そのお話を記事にすることで、読んでくださる方々と共有することに改めて、価値と必要性を感じることができました。


 今後も活動を通して、我々自身が貴重な経験をできていることを噛み締めながら、細貝さんのような方々の持つ熱量と文化を発信することによって、その情熱を多賀のいろんな場所へ伝播させていけたらと考えています。




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